乾いた俺の生活に、一服の潤いを…                    .
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とある天下人の日記…其の二
※注意:2ch風にアレンジしてあり、時代背景・時期・出来事・年齢はちぐはぐになっております。


9 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1590/08/12(日) 16:18:27

市松と虎之助からスイカをもらったので、市松と虎之助と夏バテ気味のねねと四人で一緒に食べる。
種を飛ばしながら会話をしたら、「行儀が悪い!!」とねねに叱られる。

虎之助が「最近、夏だけに牡蠣がねぇ…どうもねぇ…」とぼやく。
「えっ?なになに?」と問いかけても「いや、いいんですいいんです。」と深くは語ろうとしなかった。

…気になる。


夕方、銭湯に行くが帰りに、私の草鞋の緒が切れる。結局、ねねにおぶってもらって帰ることに…
申し訳ないことをしたが、実に情けない格好だった。

市松や虎之助、三成に見られなかったと思うと、ちょっとホッとした。



12 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1590/08/23(木) 22:37:09

お昼、天守に四尺はあろうかという青大将が出現。すぐさま虎之助と市松と三成を呼び寄せる。

三成と市松の尽力により、五時間掛けてようやく退治す。
その間、虎之助は三郎を抱いて天守の屋根裏に逃げていた。まぁ、私もねねの後ろに隠れていたんだが。


夕刻、痔でかなり悶絶。痛みも覚めやらぬ中、尻を押さえていると家康がやってきて
何を勘違いしたのか、鞭と赤蝋燭と荒縄を置いて帰る。

…一体、何をしにきたのか、イミフ。とんと見当もつかぬ。



13 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1590/09/07(金) 20:04:57

信長さんが「サル!たこ焼きを食わせろ!!」と浅井君、朝倉君、今川君を連れてやってきて騒ぐので
仕方なく自ら振舞う。ソースではなく醤油で味付けをして蛸は大きめにしておいた。
食後に、浅井君から「twitterが面白いんだよ、twitterが」と熱く薦められるが、適当にあしらっておく。

四人とも中々帰らないので、仕方なく泊まらせる。

彼らの寝顔をmixiにアップしてやろうと目論見、デジカメを片手に寝室(実際は私の茶室)を覗くが
三郎が信長さんを気に入ったのか、彼の布団で一緒に寝ているのを見る。

なんだろう、もやもやした気分…少し嫉妬している私がいる。



15 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1590/09/19(水) 20:04:57

お昼、GAOでガンダムのDVDを借りてきて見る。
まとめて見たので、かなり時間を取られてしまった。

御前会議があったが、サボる。

そんな私を見て、ねねが一言「認めたくないものだな…若さゆえの過ちと言うものを。」
どうやら、仕事をサボったことに関して、御立腹のようだ。
明日からは、ちょっと見る時間を考えようと思う。

夜、会議をサボった罰か、痔が痛み少々もんどりを打つ…神様ごめんなさい、明日からはちゃんと仕事します。
心の中で祈りながら、薬を塗る。今日はもう寝るとしよう。



…続く!


*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・

●登場人物●

 信長:織田信長  サル=豊臣秀吉  家康:徳川家康  市松(=幼名):福島正則

 虎之助(=幼名):加藤清正  三成=石田三成  浅井君:浅井長政  朝倉君:朝倉義景

 ねね:寧々(秀吉の嫁)  三郎:(前述)信長さんから貰った犬(信長さんの別名)


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2010-06-26 Sat 05:04
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とある天下人の日記…其の一
※注意:2ch風にアレンジしてあり、時代背景・時期・出来事・年齢はちぐはぐになっております。


1 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1567/08/15(火) 04:18:27

 上司の織田信長さんからメール。
 「おい、サル!今、家康と豊橋の『ひっぱり凧』で飲んでるから来い!」とのこと。

 とりあえず、暇だったので、部下で養子の虎之助(加藤清正)と市松(福島正則)
 強引に連れ出して、大坂から豊橋に出掛ける。

 市松が麦酒四杯で嘔吐してしまい、潰れる。代わりに虎之助が市松の頼んだ麦酒の残りと
 「サーモン炙り」「ほうれん草とベーコン炒め」「フライドポテト」 「ばくだん(大蒜の素揚げ)」を平らげる。

 仕方なく虎之助と二人で市松を担いで帰る。
 市松の体重が軽かったのが、唯一の救いであった。



5 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1570/08/29(日) 02:17:43

 久々に三成が遊びに来たのだが、「よっ!!天下人!さぞ枕が高いでしょう。
 …生活がキツいんで、ちょっとお金貸してくんないっすか?」と言ってきたので、仕方なく家(大坂城)から
 歩いて天王寺まで行き、「おだいどころ」っつう居酒屋に連れて行く。

 「別に腹が減ってる訳じゃ…」と言いつつも、麦酒五杯に山形だしやっこ
 冷やりトマトと生ハムのシーザーサラダ、大坂名物串カツ盛りを軽く平らげて
 帰りに、デザートと称して、たこ焼きを買って食べていた。

 「君も 治部少輔(じぶしょう)として、色んな管理してるんだから、まず自分の管理も…」と言って
 釘を刺しておいたが、彼は「へへへ…」と笑うばかりだった。
 実に勿体無いものだ。



7 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1573/08/23(水) 19:53:47

 上司の信長さんが「うちのコーギーが子供産んでさ…一益と利家に分けたんだ。
 でも、まだいるからさ。サル、おまぃも1匹貰ってくれよ」と言って子犬を連れてきた。

 断る訳にもいかず、どうしようかと思い、咄嗟に
 「犬とサルって『犬猿の仲』って言うじゃないっすか…」と言ったら
 信長さんが拒否したと勘違いをして「じゃあ、もういいよっ!!」と不貞腐れてしまったので
 「いや、戴きます。可愛がって大事に育てます。」と言って、我が家に連れて帰る。

 我が家に着いて、どうしようかと考えていると、ねねが来て
 信長さんに貰った犬を見て大喜び。

 …俺よりも子犬の方がいいのだろうか。


 ねねが「あんた、名前付けなきゃ…」と言ったので、「もう犬千代でいいじゃん!」と返したら
 「それじゃ利家(の幼名)と一緒でしょ!!」と一喝されたので、渋々考える事に…
 結局、夜通し考えたが良い名前が決まらず、上司の信長さんの別名『三郎』を貰う事にした。



8 名前:とある天下人さん[] 投稿日:1587/06/19(金) 23:08:41

 家康君と三成が来訪。
 三成が「FC2で『関ヶ原合戦』のファンのコミュニティ用にブログ作りたいんですけど…」と言われるが
 「絶対に炎上するから辞めておきなさい。」とキツく言っておいた。

 明日、フロイス君が長崎に発つということで、夜通しドンチャン騒ぎ。
 最後は光秀君が半裸でアニソンを大熱唱した後、軍歌を歌い上げていた気がするが、あまり覚えていない。



…続く!


*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・°★:*:・°☆:*:・

●登場人物●

 信長:織田信長  サル=豊臣秀吉  家康:徳川家康  市松(=幼名):福島正則

 虎之助(=幼名):加藤清正  三成=石田三成  一益:滝川一益  利家:前田利家

 ねね:寧々(秀吉の嫁)  犬千代(=幼名):前田利家  三郎(=別名):織田信長

 フロイス:ルイス・フロイス  光秀:明智光秀


2010-06-22 Tue 04:03
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教師だって人間だが…
教師だって、講師だって人間…至極当然の事だ。



人間である以上、嫌な事もあれば、苛々する事もある、不安になる事だって…

でも、その感情を生徒の前で出すのは御法度だ。



子供は頭で理解は出来ない、だから言葉には出来ない。

だが、その眼で見て心で感じ取っているのだ。

先生が前に立って授業をしている、その姿を子供はその背中を見ている。

だから、先生の苛々や不安は、そのまま生徒の心に感染ってしまうのだ。




教師が何故、聖職者と言われるか考えた事があるだろうか?


中近東や南米など、教育に力を入れている先進国以外の国家では

教師は聖職などではなく、「知識」を教えるだけで生活が保障される。

そんな職に就くのは、賤しい人間のする事だと考えられている時代があったのだ。

現代でも、そういった考えが残っている国があるのは事実だ。



では、何故に日本の教師は聖職者と言われるのだろうか。


明治に入り、廃刀令で刀を盗られた武士が多数いた。

刀を取られるという事は、「武士・侍」と云う身分が消失したという事だ。

肩書き・己の誇りに思うべき身分秩序が崩壊したのだ。



四民平等の時代に、拠り所とも言えるべき尊厳を失いつつあった武士たちが

己の職務としたのが、次世代を担う人間作りだったのだ。



役人以外の武士は、金勘定をしないと考えられている。

金銭を扱うのは、賤しい事だと考えられていたからだ。

だから、商人の家に丁稚に行く武士は少なかったと言われている。



そのため、武士の多くが命を賭す職務としたのが教師だった訳だ。

全ての武士が教師になった訳ではないのは、前述の通りだ。

農民になったものも、職人になったものもいる。




そのような社会環境がめまぐるしく変容していく中で

武士の多くは寺子屋などで教師になった。

武士とは学問をせねばならない役職だったのも、1つの原因と言えるだろう。




ココから、武士道の話になるが、武士とは「三民の長」と呼ばれる。

どういうことか…士農工商という身分のヒエラルキーが存在していたのは

小・中学で学んだ事だ。

当然の如く、武士が民衆の上に立つ立場となっている社会構造だ。




元々、兵士・軍人だった武士・侍が、時代の変容において

自分達の存在意義を変えていき、その民衆の上に立つ立場から

武士とは「生き方そのものが全ての模範とならなければならない」という

思想があったのだ。



武士道の中には、『公私の別』という考え方を唱えている人物もいる。

『公私の別』とは、簡単に言うと、公の職務としては模範となるべきだが

私的な生活面においては、一般民衆と変わらないという考えを持ったものだ。




恩師・川口大先生が研究しておられた『吉田松陰(よしだしょういん)』先生

また小生が研究している『山鹿素行(やまがそこう)』先生も『公私の別』では駄目だと言っている。

(註:吉田松陰と山鹿素行は同じ年代に生きてはいないが、素行の著書を読み、「自分の恩師だ」と松陰は言っている。)


民衆の上に立たなければならない武士・侍というものは

生き方そのものが農工商の模範とならなければならない。

だからこそ、「公私同一」という公の場でも私的な生活においても

人々の模範となる生き方を求められたのだ。



小生の修士論文『山鹿素行 -その理想的武士観についての研究-』の最後で述べた事だが

「武士の生き方」とは、現在の「教師・政治家」など、人々の上に立ち

先導していく人間が必ず持たなければならない『徳』を積んだ生き方だと結んだ。





これらの考え方が、江戸時代前期(山鹿素行の時代)から幕末(吉田松陰の時代)まで

受け継がれ、その後の明治期の国家教育の根底にあるものだと考えられる。




最初の質問の結論として、日本の教師が聖職者と言われるのは、教師となった武士・侍が人の生き方を

次世代を担う人間を、己の生き方・武士道において人間を育成した所にあるのだ。





俺が何を言いたいかって?そんな物は瑣末な問題だ。

俺が言いたい教師像ではなくて、今の国家とこれからの日本を作っていくのに

人を育てておかねばならないという事だ。



そして、人を育てるには、自分の生き方が『徳』を積む生き方でないと

本当の意味で人を育て、国家を変えていく事は出来ないって事だ。




恩師・川口大先生がおっしゃったように『国家がおかしくなるのは

教師として、人間を作れなかった自分の責任だと思え!』
という事だ。




教師・講師は勉強を教えるのが仕事だ。生徒の人生に関わる職務だ。

営業職のように、何かを販売・契約する仕事ではない。損失が出る訳でもない。


生徒の人生の一部になり、将来を決めていく力を養う手助けをするものだ。

だからこそ、一般企業のように、損失・損害という観点からの責任はないと思われがちである。




だが、勘違いしないでほしい。生徒の人生に対し責任を負っているのも事実だが

教師・講師の最も大きな責任は、国家存亡・繁栄に関わる責任に繋がってくるといっても

過言ではないという事だ。



だからこそ、個人としての感情をそのまま生徒に出してしまうのではなく

『生き方』を生徒に見せなくてはならないのだ。

だってそうだろ、「勉強しろ!」って言ってる先生が、勉強してなかったり

言ってる事とやってる事が矛盾してるような先生に、感受性が強い子供達がついてくるかよ!!



ココを読んでいる人々には、人の上に立つ立場(教師と生徒、上司と部下など)

これらの立場からくる人間の生き方や行動・言動について、今一度じっくり考えて頂きたい。


2010-06-10 Thu 23:56
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